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2005年09月17日

『31歳ガン漂流』

誕生日に大学の医学部テニス部の人からこの本をもらった。誕生日に本をもらうようなことは初めてだったので驚いたけれど、読みやすく翌々日にはサクサク読み終えられた。いわゆる感動ものの闘病記とはちょっと違っていてあくまで冷静でクールなガン体験記録とでもいったところだろうか。本人も涙を流したいなら他のお涙ちょうだい闘病記を読んでくれと書いている。

459107904X31歳ガン漂流
奥山 貴宏


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もしかしたら僕が抱いた印象は、世間一般の人が抱く印象とはかなり違っているかもしれない。

医学部6年間のうちの3年目の頃、どの講座の先生かは忘れたが、「医学の世界は特殊な世界です。世間の非常識が医学の世界では常識としてまかり通っていることは少なくない。これは、医学の世界に入ってしまった人間は世間の常識を見失ってしまうことが原因だ。その点、医学生である君たちは今、世間の常識と医学の常識をちょうど両方見渡せる所に立っている。僕には見えなくなってしまっても君たちにはまだ見えていることもたくさんあるはずだ…」というようなことをおっしゃっていた。

残念ながらどの講座だったのか、それともただのガイダンスのようなものだったのかすら思い出せない。ただ、その時はなんとなく聞き流していたその言葉を『31歳ガン漂流』を読んでいてふと思い出したのだ。確かに3回生の頃の僕は医学の常識が見え始めながらもまだ世間の常識も見えていたはずだ。だけど、今の僕はポリクリも始まり毎日を病院内で過ごすようになっていよいよ色んなコトを忘れ始めているかもしれない。

それを思ったのは、著者の奥山貴宏さんのクールに病院と入院生活を見つめる視点があったからだろうか。たぶん医学の世界と関わりない人は僕が印象深く思ったところはなんとも思わず読み過ごしてしまうと思う。

一つめは肺ガンと確定診断がついてこれから化学療法を始める所。来院から様々な診察を経て確定診断がつくということはおおきな前進を果たしたと思っていたのが、奥山さんはこれでやっとスタートラインに立てたと言う。確定診断がつくこと自体は患者にとって何ら前進ではなく、加療が始まって始めてスタートしたことになるのか。考えてみたら当たり前なのだが…。

もう一つは、化学療法後に行った1ヶ月半のラジエーションで効果がなかったときの受け止めかた。肺ガンに放射線療法を行った結果、思うように腫瘍巣が小さくならなかった人なんていうのはおそらく日本中に何千人か何万人かいて、特に珍しいことではないはずだ。だけど、これを珍しいことではないと感じてしまうところが、僕が「医学の常識は世間の非常識」の罠に掛かっている点ではないのか。奥山さんは本書中で肺原発腺癌のStageIIIbと書いておられるから、10人中8人くらいは助からない。だけど、そこで助からないことを珍しいことではないと思ってしまう自分に驚いた。

この本の本筋とは全然違うところで変に考えさせられてしまった。だけど、今後も僕はどんどん世間の常識を見失ってゆくのだろう。もちろん医学の常識が悪いというつもりは全くなくて、医学の常識を大切にしない人はよほど勘のいい人でないと当てずっぽう行き当たりばったりの治療になってしまう。だけど、医学の常識を勉強すればするほど世間の常識が見えなくなってしまうということは、怖いことだ。せめて冒頭に紹介した先生のように、自分は世間の常識が見えなくなっているという自覚くらいはキープしておきたい。常識が見えなくなっているということの自覚すらも失ってしまうと、これは本気でヤバい。

2005/09/17(土曜日) 3:05

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